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JGI-J タンザニアツアー記
2005年に行われたタンザニア・ツアーのツアー記をご紹介いたします。
JGI-J タンザニア・ツアー
JGI-J初めての企画、タンザニア・ツアーが無事終了いたしました。2005年9月2日より11日までの全10日間。参加人数は11名。
今回のツアーの目玉であるゴンベでの野生チンパンジーの観察も達成でき、けがもなく全員無事に帰国いたしました。ここに報告させていただきます。
タンザニアはもともとドイツ領東アフリカ・タンガニイカが、第一次世界大戦後に英国の植民地となり、1961年に独立しました。
1964年にインド洋に浮かぶザンジバル島と合併し、タンザニア連合共和国という名称になりました。
国土の広さは日本の約2倍(945,087km2)で、人口は約3,457万人(2002年)、公用語はスワヒリ語です。
1日目・2日目
エミレーツ航空で、関西国際空港からドバイ(UAE)を経由してタンザニアの首都ダルエスサラームまで、総移動時間は約20時間(乗り継ぎ時間も含む)。
タンザニアと日本との時差は6時間、つまり日本のお昼がタンザニアでは早朝6時です。この日の夕食は半分寝ながらホテルで頂きました。
3日目
ダルエスサラーム(ダルエス)は東アフリカ・インド洋岸にあるタンザニア最大の町です。人口約250万人、近代的なビルも建ち並び、町中では日本製の車が目立ちます。
朝、キゴマへの国内線出発の時間までの間に国立博物館へ行きました。タンザニアでは多くの初期人類化石が見つかっています。 博物館ではそうした化石を展示した人類の進化の歴史、タンザニアの歴史、水槽を使ってタンザニアの魚などの自然を見せるブースと多岐に渡ったものでした。博物館オタクの私には垂涎のスポットでした。
午後、いよいよゴンベに向けて出発です。まずは国内線(プロペラ機)でダルエスからタンガニイカ湖畔の町・キゴマへ飛びました。 タンザニアの東端から西端への移動です。キゴマはタンガニイカ中央鉄道の終着駅で、港湾の町でもあります。 キゴマのすぐ南には、1871年に探検家スタンレーとリヴィングストンが出会った場所ウジジがあります。キゴマでの宿泊先はタンガニイカ湖岸に建つアクア・ロッジ、平屋で小綺麗な部屋が湖に面して並んでいます。ロッジから眺めるタンガニイカ湖にうつった夕日は美しく、周りをすべて黄金に染めて雲間に消えました。
4日目
JGI-タンザニアを訪問しました。国は違えど同じJGIでがんばっている者としては、タンザニア・スタッフとの対面はとても感慨深いものでした。 現在ここでは、ゴンベ国立公園を取り囲む環境の森林再生プログラム(TACARE)を進めています。そのためには自然と人間が共存できる体系を作らなければなりません。チンパンジーを守るために人間を公園の外に追い出しただけでは問題はなにも解決しないのです。
JGI-タンザニアのスタッフ・ムチチさんによると、TACAREという活動を通して、現金収入のための商品作物の栽培方法を普及し、必要以上に自然の森林伐採を進行させない指導をおこなっているそうです。 そこで、森林再生用の苗を分けていただき、ツアー参加者全員で植樹を経験しました。 私たちの植えた苗木は乾期の間ベンジャミン・ムカバ小学校の子供達が世話をしてくれ、雨期になったら森に植え替えられることになります。 午後、いよいよゴンベ国立公園に向けて出発です。ロッジ前の桟橋からボートに乗り込み、タンガニイカ湖岸に沿って約2時間北上。湖はおだやかで、気持ちの良い船旅でした。 一方で湖上から見た湖岸の森は悲しいほどの禿げ山で、JGI-タンザニアのオフィスで聞いた話が思い出されました。
ゴンベ国立公園のゲートは、美しい湖岸に面してひっそりと立っていました。これまでの風景と一転して、公園だけは豊かな森に覆われています。 いよいよゴンベに上陸です。ゴンベでは公園管理事務所の横に建てられたゲスト・ハウスに滞在しました。
5日目
チンパンジー観察へ。朝食後3班に分かれてチンパンジー観察に向かいました。 野生チンパンジーの観察にはルールがあります。4~6人の少人数でグループを作ること、必ずトラッカー(案内役)が同行すること、チンパンジーを見つけた場合、10メートル以上近づかないこと、1時間以上は観察しないこと・・すべて、チンパンジーと人間がうまくやっていくために決められたルールです。 私の班はJGI-タンザニアのマイケル博士が案内役をかってでてくれました。歩きながら博士はチンパンジーが食べる植物を指さし説明してくれました。また耳をそばだてて声をたよりに登る方角を定めてルートを決めていました。山を登り初めて2時間半、先を歩いていたマイケル博士が振り返り腰を下ろしました。そこには若いメスのチンパンジーが座っていて、私たちに気がつくと歩いて行ってしまいました。 博士は「群だから他にもいるよ」と言って彼女の後をついていきました。すると茂みの奥にチンパンジーの気配、しばらく座ってうかがっているといきなり大きな叫び声が聞こえ、獣道に座っていた私たちのすぐそばを大きなオスが走り抜けました。さらにゆっくり移動する群について先に進むと、そのうちの1頭が岩の陰に座りました。彼女はゆったりとそこに座り、私たちを見ながらも気にせず食事をしていました。 しばらくしてコドモを連れたメスがやってきて、コドモを遊ばせはじめました。私たちは夢中でシャッターを切っていました。博士に「peaceful(平和だ)」と伝え、その平穏な光景に皆で見入っていました。 しばらくして残念ながら時間切れとなり、下山しました。 下りた私たちを迎えたのは先に帰ってきた班でした。お互いに顔を見るなり「どうだった?」「会えた?」「そっちも」「よかった」と口にし、その後いくぶんゆっくりと戻ってきた最後の一班も無事観察をしたことがわかると、こんどは自分たちが見たチンパンジーの話で盛り上がりました。
食後は目の前の湖へ服を着たままダイブ。ゴンベの湖岸にはワニはいないので安心して石鹸で体と服を一緒にあらい、ひとしきり泳いだあとは湖岸の石の上に広げて乾かしました。 ランプの元、夕食を囲みながらの話はもっぱらチンパンジーの話です。珍しい双子のチンパンジーを見た、チンパンジーのディスプレイ(相手を威嚇する行為)にびっくりした、などなど話は尽きませんでした。そしてチンパンジーの暮らすゴンベの森の豊かなこと、電気も水道もありませんが、野生チンパンジーを養うかけがえのない地であると誰もが思いました。
目の前で野生チンパンジーを見た経験は何物にも代え難いものです。いくらトラッカーが毎日群を追いかけているからと言って、必ずチンパンジーに会えるとは限りません。ツアー参加者全員がそれを果たせたことはとてもうれしく、また、ここがジェーン博士の活動の始まりの地であり、博士のはじめたチンパンジー観察が受け継がれている、その場に自分がいるということが誇らしく思われました。 この日の夕食後、満点の星空の下、明日もまたチンパンジーに会えるよう流れ星に願いをかけました。
6日目
ふだん歩き慣れないため筋肉痛と共に目覚め、目の前の湖で顔を洗い、朝食。メニューは刻んだ野菜をいれたオムレツと、パン、コーヒー、パパイヤ。一見普通の食事は、調理器具・材料・燃料をコックごと、キゴマから一緒に運んできたからこそ食べることができるものなのです。 ゴンベは国立公園、自然からはなにも採らずなにも持ち帰らない、これがここのルールなのです。食事をしながら各自のスケジュールを確認。昨日の疲れを癒すためにキャンプでゆっくり過ごす組、ゴンベを離れる直前までチンパンジー観察で粘る組。
実はここが運命の分かれ道でした。というのもJGI-タンザニアのシャデラック博士について海岸を歩きながら登るべきルートを捜していたとき、伝令が「ゲスト・ハウスの近くにチンパンジーの親子がきている」と知らせに来てくれたのです。
ここで戻るべきかしばし悩む私たち。結論は「今戻っても、親子はいなくなっているかもしれない。他のグループを見るために尾根に登ろう」でした。残った組はこのめったにない「ラッキー」にであったのです。
一方の私たちは更に尾根を登ります。そこに今朝の物と思われる新しい糞を発見し、再会にわくわく。すると樹上にチンパンジーのベッドを発見。
チンパンジーは毎日新しいベッドを作ります。枝葉を上手に折り曲げて、体重を支えるようにうまくつくってあります。葉っぱのグリーンが鮮やかで昨夜のものということでしたが、チンパンジーの姿はどこにもなく遠くで声が聞こえるだけです。ゴンベのチンパンジーは午前中に移動をし、午後は暑いのであまり動かず特定の場所で食事をしたりしてくつろぎ、そのまま眠ることが多いそうです。このグループは、昨日の午後ここにきてそのまま夜を過ごし、朝になって移動したということでした。
残念ながらチンパンジーとは遭遇できませんでしたが、彼らの食べる果実の話やベッドの話を聞きながら、彼らのけはいと森を忘れないよう目に焼き付けながらゲスト・ハウスにもどりました。
帰る道沿いにヒヒの群がいました。ここのヒヒたちは人をおそれず、ゲスト・ハウスの周りも生活の場としています。たまに鍵をかけ忘れると、勝手に室内に入って食べ物を失敬するとか。そのため建物の窓には金網が張られ、ドアには必ず鍵をかけてヒヒが入らないようにしています。ここでは私たち人間が檻にはいっているのです。
昼食後、シャデラック博士に見送られながら船でゴンベをあとにしキゴマに向かいます。名残惜しく博士が小さく見えなくなるまでみんな手を振っていました。誰もが「もう少しここに居たい」と思いながらの出発でした。その後キゴマから飛行機でダルエスサラームへ。タンザニア西端から東端への短時間の移動でさすがにへとへととなり、ダルエスのホテル内のレストランで夕食をとってそのまま就寝。
あすはミクミです。
7日目
いよいよ後半の目玉、ミクミNPでのゲーム・ドライブにむけ車3台に分乗し出発です。ダルエス市内を快調にとばすも国道は程なく渋滞。
聞けばタンクローリーが横転しているとのこと。急遽道を変えることにし、一度ダルエスに戻り、別の道からミクミに向かいました。時間のロスは否めませんが、そのおかげでタンザニアの別の顔を見ることができました。木の枠組みに泥壁、屋根を葉っぱで葺いただけの家、集落の入り口に積み上げられた炭の山、ビルが建ち並び車の行き交うダルエスとは異なり静かな農村の風景です。
ミクミへは予定より3時間遅れて到着。遅い昼食後ゲームドライブへ出発です。公園へのゲートの手前で思いがけずゾウの親子に遭遇。相手はもちろん野生動物ですから、人間の決めた「公園」という枠は関係ありません。次に現れたのがキリン・シマウマ・・・感動です。
ゴンベが山なら、ミクミは草原。ところどころにアカシアの木が立つ平原が、遙か遠くまで続く風景はここに来なければ味わえないものです。公園の閉園時間ぎりぎりまで車を走らせ、夕日で茜色に染まる雲をバックにしたキリンの写真を撮影。
コテージにもどったらお楽しみの夕食です。
タンザニアの野菜は味が濃く、少し塩味の効いたチキンのグリルととても良くあってビールも進みます。食堂の片隅にはバーのテラスがあり、飲み物片手に満点の星空の下、星座の話で夜は更けていくのでした。
自分のコテージにもどり、就寝していると遠くで動物のけはいがしました。まわりはライオンがいてもおかしくない土地です。コテージの入り口はキャンプで使うテントのようにファスナーで留めるタイプ。野生のただ中にいる1人の人間がいかに無力か(寝ている間にライオンがおそってきて食べられたらどうしよう、とか)、無力感や恐怖感はありましたが疲れには勝てずいつの間にか眠っていました。
8日目
この度のツアーにはアフリカでのゲーム・ドライブ経験者が多くいらっしゃいました。朝一でゲーム・ドライブに出発したほうが動物たちにたくさん会える、というアドヴァイスから急遽予定を変更。早起きをして朝食前にゲーム・ドライブに出かけ、戻って食事、すこしコテージでゆっくりしてから出立するというものです。
コテージと交渉すると「じゃあランチボックスを作ってあげるから、(国立公園内の)カバの池の前で食べて公園の中を通って帰ってはどうか」とのこと。カバの池の前では車を降りることが出きるそうです。少しでも長く観察したい私たちは喜んでその提案を受け入れました。
朝コーヒーだけ飲んでいざ出発です。ようやく白々と明けてきた空の下、ゲーム・ドライブが始まります。できれば肉食獣が見たいというのが本音です。
私はすでに昨日のゾウとキリンで満足していましたが、他の方はみな強者で、大砲のような望遠レンズ付きカメラを両手にルーフから身を乗り出しています。
大きな動物はやっぱり、ゆったりどっしり移動します。ゾウ、キリンなどは歩きもゆっくりで堂々としており、時たま止まって此方を向いてくれました。一方インパラ、サバンナモンキーなどはいつ見ても走っています。サバンナを2時間かけてゆっくりとコースをまわります。
意外なようですが、公園内はきちんと道があります。動物を追いかけて道無き道をジープで移動というのはイメージだけで、タイヤの轍で荒れた草原では野生動物がけがをしてしまうのだそうです。
いよいよカバの池の前でランチ。しかしそこで白いビニール袋が散乱している光景を目にしました。木陰にゴミ箱があり、その廻りにビニール袋が散乱しているのです。
野生の動物の姿を見たいために訪れた国立公園の中で見たこの光景は何とも悲しく思われました。
ミクミからの帰り道でも、またアクシデントがありました。ダルエスまで続く国道でまたもや事故が発生。事故車両をどけるのに時間がかかっており、見物する黒山の人だかり、その人達に果物やジュースを売る商魂たくましい露店の店主、みんな慣れているのか気が長いのか、もめ事らしきこともなく事故車両が撤去されるのを待っています。
ツアー参加者も「焦ってもしょうがないからゆっくりいこうよ」と皆さん口々に仰りとても救われました。一度ならず二度も事故に遭遇。そんななかみんながみんなを気づかいながらのこの旅はなんと素晴らしいことでしょうか。そんなこんなで何とかダルエス市内へ到着。市内の中華レストランで最後の晩餐です。タンザニア四方山話に花が咲き、夜は更けていきました。
9日目
いよいよ今日は日本へ出発の日です。出立前みんなでダルエス市内の通称カンガ・ストリートと呼ばれるカンガの卸店が多く店を構える一角へ繰り出しました。
カンガとはもともとは臈纈染めの布でタンザニアの主に女性が身につけています。今はプリントされているものが多く、図柄も伝統的な植物や動物の文様・幾何学紋様がちらしてあるものから携帯電話やランプといった文明の利器まであります。
二枚で一セットになっており、一枚はスカート、一枚は上着にしたり頭に巻いたりと使い方は多種多様です。立体的に仕立ててスーツのように着ている人もいれば、ただ巻きつけているだけの人もいます。カンガにはスワヒリ語の一言が小さくそっと添えて染められており、男性が女性に送るときはその言葉も重要だとか。
その後マーケットへ行きたいと運転手さんにお願いしました。実はスーパーマーケットのようなものを想像してのですが、着いたのは「市場」。
積み上げられたトマト、ナスなどの野菜、秤や鶏の自動餌やり機などの日用品、肥料、オートバイ、自転車、タイヤ。まさにタンザニアの日常です。
ある人はちょっとどろっとしたインスタントのアフリカン・コーヒーを求め、ある人はタンザニア地図を求め、わずかな時間ですが各自散策。希望の品を手に入れ意気揚々とバスに戻ってくるみなさんの顔には「満足」とかいてありました。
ホテルにいったんもどったあと、いよいよ空港へ向かいます。JATAツアーの金山さんとはここでお別れです。金山さんはタンザニア在住十数年でスワヒリ語はお手の物。頼もしい存在でした。名残惜しさに胸はいっぱいで、いつまでも手を振りながら搭乗口へ向かいました。
その後飛行機は無事ダルエスを飛び立ち、ドバイへ。
10日目
夜中にドバイで乗り換えをすることで少し構えていたせいか、乗り換えてもなかなか眠れず、アルコールをもらってなんとか眠りにつきました。
目覚めるとちょうど夜があけるところ、こっそりとシェードをあげた窓からは朝焼けがとても美しくみえました。
飛行機はその後順調にフライトを続け、関西空港へあっけなく着陸。瀬戸内海の島々を見たときようやく、ああ日本にもどってきたと実感しました。
とても美しい緑の島々。彼の地の茶色い大地とはまた違った趣で、津々浦々の島国は緑鮮やかに私たちを迎えてくれたのでした。
関西空港で最後のお別れです。みんなで再会を誓い合い、三本締めで散会。この旅が皆さんの心にどう焼き付いたのか、願わくは実り多い物であらんことを。
今回のツアーでたくさんの経験をしました。はじめは何とか参加された皆様に何かを感じ取っていただければと浅はかに思っていた私自身が、多くの方に助けられ、いろいろな物を見てたくさんの経験をし、感動しました。
ゴンベの森ではジェーン博士が感じたことに少しですが触れることが出来たように思います。本棚に乗せたシマウマのブックエンドを見るたび、あの広大なサバンナに、黄金に染まったタンガニーカ湖畔に、そして耳に残るチンパンジーの声に遠く思いをはせています。
後日談ですが、このツアーの参加者はそのままゴンベ・メモリアル・クラブを結成。今でもメールを中心に、HPや手紙でのやりとりが続いています。
(文責 立畠敦子)
今年2007年もタンザニア・ツアーを企画しております。
期間は8月17日(金)~26日(日)までの10日間です。
皆様のご参加をお待ちいたしております。